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群馬県に住んで10年以上。知らないことが多すぎ。その分、新たな発見にワクワクしています。基本的にテキストベースです。

05/10

2025

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群馬の歴史はどこまで遡れるのでしょうか。
群馬県最古の化石から見てみます。

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群馬県最古の化石 : 約3億5000万年前-約3億年前
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コノドント館 みどり市大間々博物館
群馬県みどり市大間々町大間々1030
0277-73-4123

群馬県最古の化石はみどり市大間々町のコノドント化石です。
石炭紀(約3億5000万年前-約3億年前)の岩から1958年に見つかりました。
一般に一つ一つは1mmにも見たないような小さな歯のような微小な化石で、全体化石がなかなか見つかりませんでした。1983年に全体化石がスコットランドで見つかってようやく正体がわかりました。無脊椎動物から脊椎動物へとつなぐ存在であると考えられています。
コノドント動物は、約6億年前から1億8千万年前の海にいた、10cmくらいの生き物で、人間などの脊椎動物の直系の祖先ではないかと言われています。
ヤツメウナギの近縁種クリダグナサスがコノドントの正体と思われています。

※日本最古の化石はおなじくコノドントですが、岐阜県高山市のもので、古生代オルドビス紀中期~後期(約4.72~4.39億年前)のものだそうです。

参考
束田和弘・小池敏夫 1997 岐阜県上宝村一重ヶ根地域より産出したオルドビス紀コノドント化石について.地質学雑誌,103,171–174.
奥山陽子 2005 自然地理学演習Ⅱ 3分間スピーチ  謎の動物コノドント
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 群馬県を築いた古代氏族の一つとして物部姓磯部氏が考えられています。

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群馬県安中市の磯部
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 群馬県安中市には磯部・上磯部・西上磯部・東上磯部・下磯部と磯部地名が広がっています。
 物部姓磯部氏が祖神である経津主大神を奉斎したのが現在の咲前神社であり、それが遷座したのが貫前神社であるとされています。
咲前神社
群馬県安中市鷺宮3308番地
主祭神
健経津主命
大己貴命
保食命
貫前神社
群馬県富岡市一ノ宮1535
主祭神
経津主命
姫大神

咲前神社のご由緒をまとめると
神代 経津主命が健御名方神を追って上野国と信濃国の国境の荒船山に御出陣。御座所が咲前
534 磯部朝臣小倉季氏が奉斎
572 第3代磯部朝臣小倉邦祝【小崎を名乗る】
650 第11代小崎邦平
  鷺宮から遷座・・・貫前神社・・・宮司尾崎氏
        ご祭神は経津主命・姫大神
  鷺宮に咲前神社・・・宮司和田氏
     改めて香取神宮から経津主命を勧請
 磯部氏がこの地にいたらしいのはわかります。
 こののち、天平神護2年(766)に「磯部牛麿」が物部公の姓を賜っています

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磯部氏は物部氏?
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 物部氏の祖神と言うと、宇麻志麻遲命か饒速日命があげられそうですが、咲前神社の由緒によれば磯部氏は「物部氏の祖神である経津主命」を奉斎しているとされています。
 経津主命はもともと物部氏の祖神だったものが中臣氏に神格を奪われたのではないかとの推測もあるそうです。香取神宮から勧請していることや、中臣氏からわかれた和太氏が咲前神社宮司を務めていますから、中臣氏の影響が大きいのかもしれません。

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秩父の磯部氏
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岩根神社(社家礒部氏)
 埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828
 寶登山神社HPによると「もとは大山祇神をまつる磯部氏(宮司家)の氏神さまでしたが、神使のお犬様(大口真神)の霊験があらたかな為、人々の崇敬するお宮になりました。」とあります。
 すぐとなりに大山祇神社があります。
 ここにも磯部氏がいました。

 安中の磯部から岩根神社までは直線距離で約30kmです。
 


岩根神社ご祭神

 大山祇命、大口真神(お犬様)、大己貴命(大国主命)、武沼河別命、御嶽大神
 木花開耶姫命(産泰様)、天手力男命、日本武尊命

 ご祭神には物部氏を思わせるものはありません。
 大山祇命は地祇系の代表的な神様ですから全国で祀られていますが、伊勢にも大山祇命を祭神とする神社が多数あります。  (皇大神宮摂社 大水神社,皇大神宮所管社 大山祗神社 他)
 安中の磯部氏とは異なり、伊勢志摩の磯部氏とつながる可能性があります。



 地形由来で磯辺となったかどうかを考えるのに標高が参考になるかもしれませんのでメモしておきます
 咲前神社はgoo地図によると標高214m
 碓氷川沿いにあります。「川辺」という意味の磯辺なのでしょうか。

 群馬を築いた人たちと言えば上毛野氏が挙げられますが、史書にも中央や外交での事跡は見えるものの、群馬での上毛野氏の様子はあまりわかりません。
 では、他の氏族はどうでしょうか。 古代氏族に伊勢あたりを出自とする磯部氏がありますが、現在の桐生が岡公園あたりは磯部の岡と呼ばれていたようです。磯部というのが磯部氏居住に由来するものなら近隣の神社にその痕跡があるかもしれません。
 しかし、磯部明神とも言われた桐生天満宮はむしろ逆の説明をしています。

桐生天満宮
 群馬県桐生市天神町1-3-4

 桐生天満宮のご由緒によると、第十二代の景行天皇の時代に、上毛野国造が、当地で有力だった土師部の遠祖天穂日命を奉斎した磯部明神から始まるそうです。土師部の流れからは菅原道真も出ていますから天満宮となるのはある意味自然です。
 ご祭神の天穂日命は大国主から出雲を奪った側である出雲国造家の祖神です。
 
 一方、磯部氏は
                          
 【三輪氏系図・先代旧事本紀などから】
 大国主命━事代主━天日方奇日方命━飯肩巣見命━建甕尻命[妻:伊勢幡主女]・・・磯部氏・三輪氏・宇治土公氏
 という流れと思われ、出雲神族(出雲を奪われた側)系です。
 そのため、天穂日命を奉斎する磯部明神というのでは磯部氏が奉斎したにしては不自然です。
 「磯部」という地名がついているのは偶然なのでしょうか。
 それとも、本当は磯部氏奉斎神社であるが、菅原道真公を祭神としたために遡上して土師部、そしてその遠祖天穂日命とつないだのでしょうか。

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群馬県内の神社多い順ベスト30
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群馬県神社庁管轄神社を神社名でソートして集計しました。
これで群馬県内の神社の分布傾向がわかるはずです。

順位 神社 社数
1 諏訪神社 102
2 八幡社 94
3 稲荷神社 73
4 神明宮 59
5 赤城神社 53
6 長良神社(長柄) 40
7 菅原神社 31
8 熊野神社 29
9 飯玉神社 24
10 八坂神社 22
11 白山神社 20
12 武尊神社 20
13 浅間神社(富士) 19
14 日枝神社 19
15 愛宕神社 17
16 榛名神社 16
17 大山祗神社 12
18 賀茂神社 10
19 雷電神社 10
20 巌島神社(市杵島) 8
21 三島神社 8
22 近戸神社 7
23 春日神社 7
24 御靈神社 6
25 鹿島宮 6
26 北野神社 6
27 住吉神社 5
28 生品神社 5
29 丹生神社 5
30 駒形神社 4
30 天満宮 4
30 白髭神社 4
1184
※群馬県神社庁管轄神社のみ
※長柄と長良などをまとめるなどした

 この集計には小さな境内社を含んでいません。

 地元だけに赤城神社も多いですが、諏訪神社がその2倍もあります。
 この諏訪神社について分布を見ると、102社のうち、吾妻支部が期待値6.3のところ18社も集中しています。逆に、
 館林邑楽支部期待値10のところ1社
 太田新田支部期待値8.7のところ2社
 と、なっています。
 諏訪神社のご祭神である建御名方神は天竜川沿いに北上して信濃入りしたという説と糸魚川から南下したという説がありますが、吾妻支部に分布が濃いことから、南下の過程で白根山ルートで伝播したと考えられるかもしれません。東毛エリアには強い影響を及ぼせなかったようです。

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その他、分布に特徴ある神社
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【1】長良神社(長柄)
 館林邑楽支部 36社
 太田新田支部  4社

【2】武尊神社 
 沼田利根支部 19社

【3】榛名神社
 高崎榛名支部 6社
        高崎支部 5社

【4】白山神社
 安中碓氷支部 3社 
 高崎榛名支部 7社

【5】飯玉神社
伊勢崎佐波支部 9社
     前橋支部 6社

【6】八坂神社
 桐生みどり支部 6社

【7】賀茂神社
   太田新田支部 5社
 桐生みどり支部 4社

【8】大山祗神社
 渋川北群馬支部 6社

【9】丹生神社
 富岡甘楽支部 2社
 藤岡多野支部 3社

掲載するだけですませてしまう中途半端さはご容赦下さい。
子供の頃、弥生時代は紀元前2世紀から紀元2世紀頃までの約400年間と習ったように記憶しています。先日、子供にパソコンで調べ事をする方法を説明していて、

やよいじだい【弥生時代】
紀元(きげん)前4世紀(せいき)から紀元(きげん)3世紀(せいき)ごろまでの弥生土器(やよいどき)を使っていた約(やく)600年間。大陸(たいりく)からつたわった稲作(いなさく)や金属器(きんぞくき)の使用が広まったが,石器(せっき)や木器(もっき)も多くの人々に使われた(金石併用(きんせきへいよう)時代)。土器(どき)を作る技術(ぎじゅつ)が進歩して高温で焼(や)かれるようになり,簡単(かんたん)な文様の弥生土器(やよいどき)が生まれた。また,各地(かくち)に有力な支配(しはい)者が出現(しゅつげん)して小国家が成立(せいりつ)した。

 となっているのに行き当たりました。
 一部の学説ではもっと昔に遡るとも。
 知識はアップデートしないといけませんね。
 歴史の復習をしようかしら。
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