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群馬県に住んで10年以上。知らないことが多すぎ。その分、新たな発見にワクワクしています。基本的にテキストベースです。
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05/10

2025

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 群馬を築いた人たちと言えば上毛野氏が挙げられますが、史書にも中央や外交での事跡は見えるものの、群馬での上毛野氏の様子はあまりわかりません。
 では、他の氏族はどうでしょうか。 古代氏族に伊勢あたりを出自とする磯部氏がありますが、現在の桐生が岡公園あたりは磯部の岡と呼ばれていたようです。磯部というのが磯部氏居住に由来するものなら近隣の神社にその痕跡があるかもしれません。
 しかし、磯部明神とも言われた桐生天満宮はむしろ逆の説明をしています。

桐生天満宮
 群馬県桐生市天神町1-3-4

 桐生天満宮のご由緒によると、第十二代の景行天皇の時代に、上毛野国造が、当地で有力だった土師部の遠祖天穂日命を奉斎した磯部明神から始まるそうです。土師部の流れからは菅原道真も出ていますから天満宮となるのはある意味自然です。
 ご祭神の天穂日命は大国主から出雲を奪った側である出雲国造家の祖神です。
 
 一方、磯部氏は
                          
 【三輪氏系図・先代旧事本紀などから】
 大国主命━事代主━天日方奇日方命━飯肩巣見命━建甕尻命[妻:伊勢幡主女]・・・磯部氏・三輪氏・宇治土公氏
 という流れと思われ、出雲神族(出雲を奪われた側)系です。
 そのため、天穂日命を奉斎する磯部明神というのでは磯部氏が奉斎したにしては不自然です。
 「磯部」という地名がついているのは偶然なのでしょうか。
 それとも、本当は磯部氏奉斎神社であるが、菅原道真公を祭神としたために遡上して土師部、そしてその遠祖天穂日命とつないだのでしょうか。



 地形由来で磯辺となったかどうかを考えるのに標高が参考になるかもしれませんのでメモしておきます
 goo地図によると標高116m
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